ファインダー'82〜カメラを磨く日々 その1
(2003.05.07)


 私が中学に入学したのは1982年。映画「蒲田行進曲」が上映され、細川たかしが「北酒場」でレコード大賞をとった年だ。大きな事件としては、ホテルニュージャパンの大火災や、日航機の羽田空港沖墜落などがあった。もっとも、これらの事件が起こったのは入学直前だったのだが。よくウッツンが教室で「逆噴射〜!」といって屁をこいていたのを思い出す。

 私が生まれ育ったのが、明石の江井ヶ島という田舎町。島がついているが離島ではない。ちゃんと電車の駅もある。いわゆる郊外の田舎で、漁師と農家が多かった。私は中小企業サラリーマンの長男で、ウッツンもサラリーマンの家で次男坊だった。お互い裕福な家庭ではなかったが、いわゆる中流の下ぐらいで、生活レベルや価値観も似たものだったのだろう。だから気が合っていたのかなと、今になって思う。

 ウッツンと私は、中学に入って共にバスケット部へ入部した。が、ほどなく放課後の向かう先が、体育館ではなくウッツンの家へと変わった。彼の家は4人家族。両親と7歳上の兄さんがおられた。ウッツン以外はみな働いておられたので、平日の昼間は、彼の家で実にのびのびと過ごしていた。他人の家でくつろぎすぎているのも今考えるとかなりあつかましいが、ウッツンの呑気な性格と、夕方には帰ってこられるおばちゃんの気さくな人柄に甘えて、私はほぼ毎日、ウッツンの家にいた。

 ウッツンの家での過ごし方は、だいたいパターンが決まっていたように思う。長渕剛か大滝詠一のレコードをかけ、カメラや写真の話をするか、エロ本を読んでいるかどちらかだった。カメラ関係の情報元はだいたい月刊カメラマンから。アサヒカメラや日本カメラは価格も高かったし、敷居が高いように思えた。CAPAも若い世代向けの雑誌だが、内容やノリが「理系的」で、当時はカメラマンのほうを好んでいた。

 それに飽きると、地元で1軒だけの写真屋さんへ行き、そこのおやじにいろんなことを聞いた。いつも閉店の7〜8時くらいまで話を聞いていたように思う。たいした金を落とすわけでもない中学生の自分たちによくしてくれたものだと思うが、田舎の写真屋でおやじもヒマだったのだろう。実際ヒマそうだった。とはいえ、今思い返してみると感謝の気持ちでいっぱいである。(当時も感謝していたので、高校生のとき、キヤノンT70をこの店で買った)






京都・橋本

2002.2

Canon NewF-1 FD28mmF2

E100VS

※写真と本文は関係ありません